少年たち2023
戦争により、平和で平凡で退屈な日常が破壊される。
生きるためにストリートギャングとして非行に走った少年たちが、刑務所に送られる。
戦争により自由を奪われ、やり場のない怒りを争いによって発散する毎日を送っていた。戦争で家族を失って記憶を喪失したタイショウの子供のような無垢さに触れ、次第に仲を深めていく少年たち。
刑務所は看守長の理不尽な怒りによる暴力で支配されている。
その支配から抜け出そうと、少年たちは脱獄を企てる。脱獄は失敗。「ここが僕にとっての家。僕にとっての家族である、みんなを守るんだ。」と、タイショウの命が犠牲になった。
しかし、看守長の横暴が明るみに出て、少年たちの刑期は大幅に短縮。無事に出所し、数年後、刑務所を訪れる少年たち。
タイショウの死を弔い、過去と訣別し、夢に向かって再出発したことを口々に報告。
話は尽きず、「飯でもいこうぜ!」と笑い合った。
突然人が変わったかのように、怒号を叫ぶ5人。
そして、赤房リュウガの語り。
「戦争と無縁の世界で生きていると思っているのは、この国の人達だけだ。それを、忘れてはいけない。そうだよな、イワサキ。」
ここで、話は終わらない。
話しかけられたタイショウは、リュウガの語りを肯定しない。
そして、不気味な表情で、大切に育てていたはずの向日葵を斬る。
「少」の字が赤く染まり、エンドロール。
タイショウの存在や行動を巡り、様々な考察が飛び交っている。
どれもこれも舞台に散りばめられた様々な要素を元に深く考えられていて、納得のいくものだった。
私は、このラストシーンを、「観客、そして世間への警鐘」と解釈する。
もしこのシーンがなかったら。
「やっぱり戦争なんてしちゃいけないよね」
「平和であることを守るべきだね」
「今年の少年たち、舞台として完成されていてよかったよね!」
「でさ〜ここのシーンの○○くんがさ〜……」
これ以外の感想が出てきていただろうか。
最後のシーンについて向き合っている間、私たちは、戦争により何もかもを奪われた少年の深い悲しみに向き合っている。
そして、その悲しみは、想像を絶するほど、「向き合う」などと軽々しく言えないほどのものだということに気づく。
私は、本当に「戦争をしてはいけない」ということを、理解しているのだろうか。
絵空事だと思っていないだろうか。
戦争を題材にした作品を鑑賞した経験はある。その時に流れた涙は、一体何だったのだろう。
作品を見て、リュウガの語りを聞いて、戦争の悲惨さを分かった気になっていないか?
考えても考えても、戦争による悲しみなんて理解できやしない。
そんな大きな悲しみになんて絶対に直面したくない。
鮮やかに伏線を回収し、収束したように見えた物語。その最後の最後に、あえて不穏な謎を広げる。
そして、考察する、つまり戦争の悲惨さについて考えた末に、観客に「戦争は嫌だ」と心から思わせることが、あのラストシーンの目的だったのではないだろうか。
あのシーンに意味を持たせるなら。
全てを失い、「ずっとみんなとここにいたい」だけが唯一の願いだったタイショウ。
その願いすら叶わずに、命さえも散っていく。
そんな彼が、未来に歩き出した5人を見て。
「君の分まで生きる」「見ていてね」と声をかけられて。
純粋に応援できるだろうか。
家族のように大切に思っていたからこそ、「一緒にいる」ことが叶わなかったことに、既に気持ちを切り替えている5人に、強い憤りや怒りを抱いている可能性がある。
行動により何かを伝えるというより、そのマイナスな感情を表すシーンだったかなと。個人的にはこれが最も落ちました。
'ᴗ'おしまい'ᴗ'